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発寒の記念碑

発寒屯田兵開拓居住の碑

発寒まちづくりセンターから道路を挟んで向かい側にこの碑はある。
明治9年ここ発寒の地に屯田兵32名とその家族が、この稲荷街道沿いに入植した。
大木の生い茂る原始林の真只中で幾多の困難とたたかいながら汗を流し、労苦に耐え木を切り土地を耕し現在の繁栄を築いた歴史ある移住の跡地です。
先人達の偉業を偲び後世に伝えるため1987年(昭和62)11月この碑をを建立した。
(説明分より)

永田休蔵之碑

1857年4月に同志山岡精次郎さんらと共に、在住の中心として入地した永田休蔵さんは開拓のため、熱心に尽力された。
その年の11月に大竹慎十郎さんと二人で石狩からの帰り道、冬の海岸で強い風雪にあいなくなられた大正14年発寒屯田移住50年にその功績を追想してたてられる。
(説明分より)

発寒開村記念之碑

安政4年に山岡主計頭さんが永田休蔵さんらと農家、17〜18戸をさそいこの土地に住み、荒れた土地をきり開いた。その時、この土地を発寒部落とよぶようになり、その後多くの人たちがこの土地に住みつくようになった。そこで安政4年を発寒の始まりと決め永く伝えるためにみんながお金を出し合ってこの記念碑をたてた。
(説明分より)

発寒屯田兵移住百年記念碑

この碑は屯田兵の子孫や縁の人達55名で、100年目を記念し、昭和55年(1976年)に建立されました。
(発寒の生い立ちより)

発寒移住記念碑

この碑の裏側に移住してきた人などのことが刻まれています。
(発寒の生い立ちより)

馬頭大神

現在の農業は、開墾や農産物の管理、収穫、農産物の運搬など作業のほとんどが、トラクターによって行われていますが、昔は馬や牛の力を借りて農業を営んでいました。
この状態は、終戦まで続きました。長年にわたり、人間に尽くしてくれた馬、牛に感謝し、これらの霊をお祀りしたのが、馬頭大神の碑です。
春祭りの5月15日に馬頭祭をおこなっています。
現在でも馬力(horse power)といって、動力の単位として、世界中でもちいられています。
(発寒の生い立ちより)

史跡環状石垣之跡

史跡の復元について

先住民族の遺物は発寒地域より数多く出ているがこの環状石垣は昭和七年十一月この地より発掘された当時の二重墳墓の跡と思われる
推定八百〜九百年以前のものである調査の記録に基づいて大体復元したが使用した碑石および石垣は発掘当時のものでる開道百年 天皇、皇后両陛下の本道行啓を記念し有志相謀りこれを建立せり
昭和四十三年戌申九月
(史跡説明より)